アカリさんの体験記

左足人工関節全置換術 (2007年1月10日)
                           
右足人工関節全置換術 (2007年10月19日)3/28NEW

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 ◇左足人工股関節全置換術◇

  今までの足の経過

  私は現在60歳になりますが、先天性股関節脱臼の治療の為、子供の頃、大阪で
  5回手術を受けました。そのお蔭で、その後、痛みも無く運動もでき、歩き方も
  少し癖の有る歩き方をしていたくらいで、不自由なく生活してきました。

  しかし、26歳の頃、細菌が股関節に入り関節炎化膿症になりました。この時、
  かなり股関節に変形が見られ、将来は人工股関節全置換手術しかない事を医師から
  知らされました。

   この時点では、退院後は痛みも無く、結婚 出産 育児にと忙しく過ごせ、
  仕事(交換手)も続けておりました。


  40歳頃に、右足に引きつるような痛みが出た為、病院へ行きましたところ、
  「未だ手術に踏み切るには早いので、60歳まで待つように」と言われました。
  以前から、通勤にはミニバイクに乗っていましたし、椅子に掛けての仕事は
  痛みも無く続けられていました。

  けれど、日常生活では、やはり無理が重なると痛みが出て、近くの開業医院に
  行きましたら、ここでも、「手術は未だしなくてもいいから、筋力を付けるには
  プールに」と言われ、
この日からスイミングプールに通い出し、
  痛み無く過ごせるようになりました。

  そうこうしているうちに、人工股関節の事が知りたくて、インターネットで検索し
  「
Apa kabar」や「散歩道」に辿り着きました。そして股関節で悩んでおられる
  方の多さに驚き、仲間に入れていただき、会ってお話しも聴かせていただきました
  が、未だ手術をする決断は出来ずにいました。

  それは子供の頃に受けた手術の恐さがトラウマになっていて、
  決断が出来なかったのです。

  長い期間悩みました。そのうち、足に痛みが無くても、次第に歩き辛くなって
  きました。そうなっても、なかなか決断が出来ないでいた私を、
  
mariさんは随分助けて下さって、悩みも聞いて下さいました。

  昨夏、大阪でオフ会があり、皆さんとの始めての対面。素敵な笑顔や歩く姿の
  美しさを、目の当たりに見させていただき、私の手術への迷いは消えました。
  病院を何処にするかの決断も早く、
Sさんと同じ京都のK病院と迷う事無く
  決めました。その後、
Sさんと連絡を取りながら、股関節専門外来のK先生の
  診察日に受診したのは、オフ会から約3ヶ月後の、
1126日のことでした。

  当日、病院へは運転手を兼ねて、主人が付き添ってくれました。外来受付で、
  「初診は、
(患者さんの多い)K先生ではなく、(初診担当の若い)G先生に」
  と言われ、主人と「諦めるしかないね」と。でも、
  幸運の女神様は見捨てなかったようです。そこへ、
Sさんが丁度現れて、
  廊下で久し振りの再会を喜んでいましたら、偶然、諦めていた
K先生が通り

   掛かられたのです。既にSさんが私のことを話して下さっていたようで、K先生は
   S
さんを見るなり、素敵な笑顔で「今日でしたか。私が診ましょか?」の言葉。
  感激しました!

  あの日の事は今でも、はっきり覚えています。それからK先生の診察までは
  随分時間が掛かりましたが、
Sさんがずーっと側についていて下さり、心強く、
  診察の声が掛かるまで、不安なく待つことができました。診察室に入るなり、
  先生の最初の一言、「股関節とは長い付き合いでしたね」と優しく言って
  下さいました。先生は「手術しますね」と。私も「お願いいたします」と即座に。
  先生は「今だと予約待ち一年かかりますよ」と話されながら早くも、
  電話の受話器を取って、今回私が手術をすることになった
T病院に、
  打診されようとの様子。「年内にしましょう。私が手術している病院で」と。
  あまりの決断の早さに「チョット待ってください」と私。
  主人も「年が明けてから、お願いします」と。そこで、手術日は翌年
110日に
  決まりました。初診日に、思いがけず、手術日も決まったのでした。

  でも私の気がかりは腰椎狭窄症足の痺れふくらはぎの痛みがあり 
  股関節の手術後の
リハビリに支障があってはと不安がありK先生に話しMRIを
  撮って下さる事になりましたが結果はやはり腰椎狭窄症と分かりましたが、
  K先生は股関節が身体を支えているので 両方股関節を手術して
  様子をみる事になりました。

  12月16日T病院へ

  手術に向けT病院へ術前の検査に外来へ、このときにもK病院のK先生の診察日、
  K病院では一通り診察が終わっていましたので、T病院での主治医を
  紹介していただき、(K先生は非常勤の為)この病院で私の手術は決まったんだと
  確信しましたが、でも不安は消えませんでした。検査は皆さんと同じく
  CT、採血、尿検査で
貯血は私が血管が細く悩んでいることをK先生に
  お話しすると「じゃぁ〜止めましょう!」と言ってくださり、「良かった♪」と
  安心した顔で応えると にっこりとされていました

  噂どうりの優しい先生です。手術の時間は10日の13時からに決まりました

  入院まで日数が無く自立支援医療(更正医療)の事は諦めていましたが、
  病院での医療相談の方が入院中でも手続できますので待ちますよ、
  福祉の係りの方も年末でも有りますが
出来るだけ早くしましょうと 
  気持ちよく受け付けてくださり、入院の翌日には病院に送っていただけました。

  入院の準備はSさんを始め「のぞみ会」のKさんから「Apa kabar」の方達から
  入院グッツ、必要なリストを送っていただき助かりました 
  皆さんありがとうございました。



  入院から手術

  1月6日

   正月気分も抜けない朝8時30分にT病院に到着 あまり歩けない私に
  受付の方から
車椅子を用意してくださいました、9時には担当の看護師さんが
  来られ病室へ、
2階一番端で
6人部屋 静かなお部屋でした、担当の看護師さんは
  整形の患者さんを受け持つのは始めて
ですが、宜しくお願いしますと 
  明るい可愛い看護師さんでした

   午後からは主人と二人で主治医のM先生から手術の説明をお聞きして、
  今回の手術は
骨移植が多いことで入院も1ヶ月半見てくださいと言われ、
  「右は高位脱臼で手術は
難しいですね、手術をしないで様子を見ましょうか」
  とはっきり言われ 術前の私にはショックを受けましたが
K先生からはその様な
  お話しは無く3ヶ月ほど入院して両方しましょうかのお話しをされていたのを
  思い出し、K先生を信頼し様と、心を落ちつかせ、
  沢山の書類にサインをしたのを覚えております。

  7、8日(日,祝)

  病院はお休み 主人も2日続けて来てくれましたので退屈なく庭園を散歩したり、
  小さな病院ですが見て廻り時間を過ごしました、でも
主人が帰る頃には
  恥かしくもホームシックに掛かり 長い時間庭園を見つづけていました

  9日

  今日は麻酔科の先生から説明があり 主人と外来へ向かいました、
   診察室には女性の先生が待っていてくださり、手術時の麻酔についてお話しを
  詳しく話してくださり、
子供の頃の受けた手術の様子を聞かせてくださいと
  いわれ
手術をするとき半身麻酔の為 手術中の音すべて聞こえいまだに心の
   片隅にトラウマになって残っている事をお話ししました。子供が大きな手術を
  するのに
半身麻酔なんて信じられない、手術の恐怖と戦った来たのね。と優しく
   接してくださり、今回の麻酔のことを詳しく話され、
  私がトラウマを消してあげましょうとまで言ってくださり、麻酔の先生も
  K病院からもお呼びしますから 安心してOPを
受けてくださいねと、
  手を握ってくださいました。

   部屋に帰ると、リハビリ室に行ってくださいと言われ行きますとPTの先生が
  術後私が、担当させていただきますと、術前の筋力測定、足に痛みが有るのに、
  かなりの筋力があるとのことでした。身体も柔らかいといわれ、ベットから
  車椅子に移動の練習をして終わり、術後3目からベットでリハビリが始まります。

   後は看護師さんから手術に向けての注意事項 水は手術当時10時までOK
   浣腸は朝6時に、10時には術前に接続点滴をします、今日はお風呂に入り
  爪を切っておいてください。後は個室に代わるので
持ち物は整理しておく様にと、
  今夜は眠れなかったら行けないので眠剤を出しますね
安心して 
  ゆっくり眠ってくださいと言われましたが、やはり手術が気になり、
寝つくまで
  時間がかかりました。

  10日手術の朝

  6時に浣腸、飲み水は10時まで、手術は13:00からだから、 
  持続点滴は10時から始まります、看護師さんが上手だったので一回でOK、
  手術着に着替える、手術室担当の看護師さんがお見えになり、「私が最後まで
  着きますので宜しくお願いしますね」と言葉をかけてくださいました。 
  この頃には主人、息子が来てくれましたがあまり話しが出来ませんでしたが、

   主人が泊るつもりできているからと息子から聞かされ、嬉しさ半分、病院から
  許可が出るかが心配しておりましたが…・
看護師さんに その旨話すと 
  いいですよ、ベット用意しておきますねと
言われ嬉しさと安心感が、
  12時30分にはOPをする足を消毒と布のような
物で足をくるみました。
  部屋の皆さんの頑張ってねの声で手術室へ主人、息子も
ついてきてくれました、
  手術室に入ると麻酔のM先生が手を広げて迎えてくださり
安心感から涙が
  こぼれました、M「私男泣かしていないのに 女性を泣かしてしまった」

   の声で不安なく手術台に看護師さん達には子供の頃の話しが行き届いていたらしく
   優しく心配はいりませんよと、このときK病院k先生が頑張りましょうと
  声を掛けてくださり、お見えになっていると安心しました

   腰椎からの麻酔はかからず 先生から全身麻酔にかわりますね、の声を
  聞いたのを最後その後は手術が終わったのは17:30 頃で
  「山下さん 終わりましたよ!」の声で目を覚まし、「寒くは無いですか。
  気分はどうですか?」の問いに「寒くないです、気分も悪くないです」と
  答えたのを覚えています。でもそれからが大変手術していない足が痛みだし、
  病室に帰るまで「いたい いたい」と 叫んでいたとか、、麻酔の先生が
  ついていてくださり「手術するときは、無理な体制を長時間しているので…・」
  とでも私は横を向けば治ると分かっていましたので、横向きになって
  いいですか?と聞き看護師さんに向かせていただき 嘘の様に痛みが取れました。

  脊椎狭窄症でまっすぐ寝ると足の神経が吊るような痛みがあったので 
  以前から横向きで
寝ていたのを思いだしたのです、部屋に先生がこられ、
  レントゲンを見ながら、綺麗に入りましたよ、予想どうり
多めに骨移植を
  しましたので、と説明があったようです

  この夜は傷口の痛みも熱も何も無く手術したのよね?と思うくらい楽でしたが…・

  足には弾力ストッキング、フットポンプ、ドレーン、痛み止めの管 足には
  ▲枕を挟みテープの先にマジックテープがあり それで両足固定、
  横を向くときは背中に6キロは有る重りを3ヶ所置き、前には抱き枕、身動きが
  出来ません、このような状態は3週間続きます(一週間でベットから車椅子)
  夜寝るときがこのような状態です、(股関節手術された皆さんがします)

   夜中に何度か向きを変えていただき 水分も腸が動き出したので少しづつ
  いただきました。

  手術は予定より1時間以上かかり、この間主人は病院の庭園にあるお地蔵さまに
  何度か
足を運んでいたと息子から聞かされ、心配かけたんだと、手術室から
  先生達の歓声が
聞こえ、K先生が出てこられ綺麗に入りましたよと聞かされ
  安心したとか、
時間が延びたのは半身麻酔液が思う様に流れず、
  全身麻酔の決断まで時間がかかった
だけなんです。

                  

                                                  つづく
            

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