banbiさんの体験記

右足RAOの手術 (2004年8月)



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 ☆ 私が手術を受けるまでの経過 ☆
 

  
幼少の頃より外で遊ぶのが大好きな元気な子であった。ランドセルを
 家の玄関に置くと、暗くなるまでいつも友達と外で遊んだ。両親は私の事を
 よく駆け出してはよく転んで、膝には何時も切り傷が絶えない子だったと言う。
  学生時代も運動は好きで、学内の球技大会やスキー大会などにも張り切って参加し、
 高校のクラブでは卓球部に席を置いた。
 社会人になっても、冬の休日はスキー仲間と過ごす事が常だった。

  そんな私も24才で結婚し、25才と27才の時に二人の子を出産し年の近い息子二人の
 子育てに毎日明け暮れる日を送る。そして、30才も過ぎた頃左股関節に痛みを感じた。
 その日は、重い買い物をしたこともあり、様子を見ていたが、痛みは1週間近く続き、
 近くの整形外科を訪れた。そこで、私の股関節はいわゆる屋根の部分が足りないことを
 知る。その時医師から手術と言う言葉は出なかったが、重い物を持つなど股関節に負担
 のかかる事を避けるよう、また適度な運動で筋力を落とさないでおくよう言われたので、
 健康体操や水泳に通いながら、筋力をつけるように心がけていた。1年に1〜2度、
 股関節痛が起きた時は、針灸院で治療を受けたりもしていたが、その後、スキーを熱心
 にやり、股関節痛を感じるようになった。

  そして、股関節専門の病院を4件訪ね、すべての病院で「亜脱性股関節症の初期」と
 診断され、43才の時に左股関節のRAO(寛骨臼回転骨切り術)の手術を受ける。
 経過は順調、スキーは止めたが、長距離サイクリング、水泳は続けており、軽い
 ハイキングなども行っている。しかし、48才になり5年前に何でもなかった右股関節にも
 軽い違和感があり、ごく初期ではあるが、年齢とこれから将来もなるべく運動を続けたい
 との気持ちから、今回もRAOの手術を受けることを決めた。



  ☆ 入院から手術まで ☆

 7月29日(木)

  5年前と同じH病院に入院する。心電図、肺機能など術前検査を受ける。例年に無い
 暑さと術後は動けないこともあり、クーラー付きの個室に入る。
 ユニットバス・トイレ・ちょっとした応接椅子、ライティングビューローもあって、ベットさえ
 代われば、ビジネスホテルのシングルルームのよう。これが旅行だったらなぁ〜。

 7月30日(金)

  今日は術前リハビリのみ、5年前お世話になったM理学療法士に今回も担当して頂く
 ことになった。当時若かったM先生も、今は後輩がたくさんいて立派な理学療法士に
 なられていました。 

  オペの技術は整形外科医の腕にかかっているが、それから先は、理学療法士のもと
 自分自身の努力にかかっていることを、私は5年前の体験で学んだ。
 今回も、退院後すぐとはいかないが、また綺麗に歩くために努力しようと心に誓う。

 8月2日(月)

  土・日外泊を2泊して、朝病院に戻る。手術前日なので、麻酔科の医師にも会い、
 術前準備をする。落ちつかなくて、何回もトイレに行く。やっぱりドキドキだ!!

 8月3日(火)

  手術当日。開始予定は午後4時とのこと。朝食も抜きだが朝9時以降は水分もダメ。
 午後1時オペの人も同じく水分は朝9時までと言う。それならば、午後4時ならもう少しの
 時間飲んでもいいのではないの?そう看護士さんに尋ねるが、麻酔科の医師の
 指示だからと言われる。ダメと言われると、なんだか飲みたくなるものだ。この時間が
 長いのは辛いね。
  手術は予定が早まり、午後2時から始まった・・・・。
 名前が呼ばれ、目が覚める。レントゲンを撮って部屋へ。手術は2時間の予定のところ、
 1時間40分で終わり、出血も少なかったので、術中は貯血してあった自己血を使わな
 かったという。術後部屋に戻ってから自己血800ccを点滴で身体にもどした。
  前回に比べると麻酔の切れるのが楽だった様に思うが、この日の痛みは、やはり
 同じで言葉では言い難い。30分毎に目が覚めてしまう。あ〜、早く朝が来てほしい。
 
 8月4日(水)

  頭はすっきりとし、お腹はペコペコ。昨日1日まるっきり何も食べていないものね。
 朝食からほぼ全部食べるが、なんとご飯が美味しいこと。でも食べた後に身体が熱く
 なる。今は、食べることがすごくエネルギーを消費することになるようだ。
 回診の際にK医師が、「思ったように出来てバッチリ!」と話された。

 8月5日(木)

  多少微熱はあるが食欲もあり、消毒の時に横になるのも上手だと看護士さんに言わ
 れる。着替えの時の腰上げも出来る。しかし、こんな経験何回もして上手になるのも
 困るなぁ。元気だからと、ストレッチャーで洗面所に移動して髪を洗ってもらう。
 あ〜さっぱりした。

 8月6日(金)

  手術当日より、血栓予防の為にAVインパルスを使っている。それは歩きはじめるまで
 続くそうだ。機械も以前より進歩していて、手術当日は術後から朝まで。それ以降は
 毎日2時間。足裏から圧力を与えることによって、歩くのと同じような運動をしている
 ことになるという。
  また今週から弾力ストッキングを取り入れたということで、私はとりあえずモニターと
 言うところかな?。足首、ふくらはぎのサイズを測り、自分のサイズを決める。足首の
 サポート力がすごくて、はかせる看護士さんも一苦労だ。きつすぎて血行が悪くならない
 かを調べる為に、足先が空いているが、見た目は白いハイソックスで、膝から下だけ
 見れば、ナースみたい。でもこれを履いていると足だけが暑いんだよね。
  消毒の際、K医師が「傷小さいな」と言われた。「どのくらい?」と尋ねると、13cmと
 10cm位の2本とか。5年前の私の傷は16cmと10cm位。傷はなるべく小さい方が
 ありがたい。尿管と血管(ちくだ)も取れ、少しスッキリとした。

 8月7日(土)

  術後4日目。生理的な話になってしまうが、そろそろ食べた物も排出されなくては
 困る。ベッド上の生活でのそれは、結構大変。昨夜の下剤がきいて、やっと一息する。
 あ〜良かった、大仕事だったもの。介護される老人のような気分になるが、遠慮なく
 看護士さんのお世話になろう。
  今日、消毒の際に初めて傷を見た。ホッチキスで閉じていることは知っていたが、
 なるほどホッチキスが一直線に並んでいた。前回は傷を見るのに一寸勇気がいったが、
 今回は私も勇ましくなったものだ。傷口を引っ張り合いながら、ホッチキスがうたれて
 おり、傷口部分が盛り上がっている。まだ生々しくて、自分ながらこれじゃ痛いよねと
 思った。ちなみに、5年前の傷もホッチキスだったが、すっかり白く1本の線になっていて、
 言わなければ分らない程綺麗なので、またそうなることを祈る。