ルンルンさんの体験記


子宮筋腫の腹腔鏡手術

2010年11月10日

    
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   術後一日目

   今回、4日間の入院ということで、本当に身近な人だけに知らせていたのですが、近所に住む、
   函館の幼馴染が、ケーキを持ってお見舞いに来てくれました。友人は、病院内にある
   コーヒーショップで私とコーヒーを飲みゆっくり話すつもりで来ていたので、私の状態を見てびっくり
   していました。介護の職に就いている友達は、看護師さんから温かいタオルをもらって、私の顔を
   拭いてくれました。そういえば、酸素チューブがついていたので、顔は拭いていませんでした。
   ありがたかったです。
   以前にも股関節の手術後、自宅に来てくれて、足をきれいに洗い、爪を切ってくれました。
   友人には本当に感謝しています。

   その後、義父・母が買い物のついでに寄ってくれました。昨日の深夜の出来事を話すと、義父が
   昨日帰りの車の中で、私の顔色があまりにも悪かったので、心配してくれ、明日も病院にいくぞ・・・・
   と言ってくれていたそうです。

   まだ吐き気があり、何も食べられる状態ではなかったのですが、唯一、味噌汁の塩辛さがすごく
   美味しく感じて、退院まで味噌汁だけは、しっかり飲みました。

   術後二日目

   義弟夫婦がお見舞に来てくれました。当初の予定では、明日が退院予定だったため、ベッドに寝た
   ままの私の姿にやはり驚いていました。
   
   その後看護師さんから、午後少し歩く練習をして、尿の菅をはずしましょう・・・・と言われました。
   丁度義母が来ていたので、一緒に歩いてくれました。股関節の手術の時にも貧血がひどくて、
   立ちくらみがしたので、いきなり立たないように、ゆっくり立ち上がりました。お腹を切っているので
   重い傷みがあるのかと思ったのですが、スッっと立てて、トイレに行けました。痛み止めの麻薬??
   がかなり効いていると看護師さんが教えてくれました。

   術後三日目

   病室が4人部屋になり、もとの部屋に戻りました。今日はお腹についていた、菅を抜きました。
   少しづつ、体が動きやすくなっていきます。そしてシャワーの許可がでました。シャワーを浴びるだけ
   で、動悸ががすごくて少しびっくりしましたが、さっぱりしました。
   その後、主人と娘が来ました。娘は事情を聞かされていないため、今日退院し、一緒に帰れると
   思って来たようです。娘には貧血の値がもう少し良くならないと退院できないことを話しました。

   術後四日目

   やっと食欲が出て来ました。病室に来る看護師さんが、みな「顔色が良くなったね〜」と言って
   くださり嬉しくなります。早く帰りたいな〜と思える余裕も出て来ました。
   10日間の休みを取ってくれた単身赴任の主人もあさってには帰らないといけないため、自宅での
   娘の世話を義母に頼むことになりました。

   術後五日目

   私の一日後に腹腔鏡手術を受けた方が退院しました。私に色々あった間に、すべての方が退院
   され、4人部屋に私一人になりました。動けるようになった私は、窓を開けて、空気の入れ替えを
   したり、ちょっぴり一人部屋気分を味わいました・・・・・笑
   そして、担当医師からの詳しい説明があると言うことで、主人に来てもらい話を聞くことになりました。
   手術中の写真を一枚一枚見せて貰い、パソコンに記載されているものと一緒に説明がありました。
   先生からの説明によると、かなりの癒着があり、予定より2時間以上かかってしまったが、無事
   腹腔鏡での処理で出来た。最後にお腹の中の洗浄をした際には、出血も無く何もかもうまくいったと
   思われたが、病室に戻ってから異変が起きた。その後、開腹手術でわかったことは、止血があまい
   箇所があり、初めは一箇所から出血していたと思われたが、だんだんと何箇所からも出血がはじ
   まりいくら輸血(4400CC)をしても間に合わない状態となった。
   先生は「本当に申し訳ありません・・・」と。
   私と主人は無言でした。主人は、「命が助かっただけありがたいと思わなければいけない」・・・と説明
   がある前から話していたのですが、私はやはり、開腹手術を避けたいため、家から遠方であったが、
   こちらの病院を選んだこと、今回の事で日数が延び、仕事、家のこと色々なことが大きく変わって
   しまったこと、少しでも輸血の可能性があったのであれば、自己血を採っておくべきで、大量の輸血
   のため、これから3ヶ月後に行わなければいけない血液検査までの間の不安などを先生に訴えました。
   先生からは「後の事は、院内のソーシャルワーカーとの話し合いになりますので・・・・」と言われ、
   話し合いは終わりました。

   術後六日目

   朝、色々考えて、mariさんにお電話しました。mariさんは、入院する前日も手術の前日も、お忙しい
   のにメールを下さって、私を励ましてくださいました。ソーシャルワーカーとの話し合いのことを相談
   すると、一緒に話を聞いてくださるとの事で、すごく申し訳なく思ったのですが、mariさんに甘えさせて
   いただくことに・・・・。(夫は仕事に戻ってしまったので)
   午後三時くらいからの話し合いに、mariさんは早めに来てくださり、T病院のデーターや医師の
   データーなどを調べてきてくださって、私が病院と交わした同意書の内容などみながら、詳しくお話
   しました。
   時間少し前に、相談室に行くと、婦人科担当の方がいて、「どんなご相談でしょうか?」と言われ
   戸惑いました。言い方は悪いかもしれませんが、私は相手方も、すべての事情を把握した上での
   話し合いで、言い方は不適切かも知れませんが、医療ミスを前提に病院側とこちらが支払う医療費の
   問題の話し合いかと思ったのです。しかし今回のことは、病院内の会議の中でも、そのような捉え方
   はしておらず、今回起きたことは、同意書内に書かれていた範囲内の事になり病院側は、通常より
   高額になる医療費のことを、前もってこちら側に伝えたかったようでした。

   その後、mariさんと、院内のコーヒーショップで、コーヒーを飲みながらゆっくりお話しました。
   夜にはmariさんから事情を聞いた、セシリアさんから、温かい内容のメールが来て本当に嬉しかった
   です。


   術後七日目

   バタバタと退院が決まり、午前中に退院後の話を聞き、抜糸と内診を終えて午後無事に退院と
   なりました。



   今回、このような苦い経験をして、私自身色々考えさせられました。もちろん二回の手術に至った
   ことは、残念なことでしたが、もし大きな病院でなければ、私は生きていなかったかもしれない、
   元気に家族の下で過ごせることに今は感謝しています。


   


           


                   2008年の家族での沖縄旅行の写真です。
     
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