のんびりスーキーさんの体験記



         
 退行性変形性股関節症                        

         
 右人工股関節全置換手術(2010年7月)

         
 左人工股関節全置換手術(2010年12月)


      
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手術〜術後〜退院

まず職場から休暇を貰い、山内先生に手術の日程を立てて頂きました。
日本滞在日数から、両側一遍に手術する事は不可能になり、今回は右側だけになりました。
又自己血の貯血は1か月以上は保存できないそうで、術前の検査を含む全てが一回の滞在中に、
つまりは手術の直前に行われました。


7月5日(月)
*手術前検査一式(血液検査、血液凝固検査、心電図、呼吸機能検査、尿検査、全身と股関節のレントゲン、血圧測定、
 体重身長測定、麻酔の説明のビデオ=腰椎麻酔と硬膜外麻酔)
*自己血採血 400CC=その後、鉄剤とビタミンCの処方2週間
*麻酔に関するインフォームドコンセント(麻酔i医から)
*手術インフォームドコンセントと輸血についての説明(担当医から、家族同伴)

担当医とは以上に加えて 次の事が話し合われました。
ーー関節の材料を何にするか。
以前から山内先生とお話しして来た事で、ポリエチレンとメタル(コバルトクロムニッケル合金)の組み合わせに
落ち着こうとしていたところ、今回土壇場で、妹がメタルは避けた方が良いと主張。ポリエチレンとセラミックに、
迷いながら、私も同意。
皆さんは材料は何になさいましたか?

ーー業者の在席
無菌の箱に細かく仕分けされた人工関節のパーツが複雑なので、手術室に業者が居ますが、いいですか。
ーー股関節グループ
担当医は山内先生ですが、股関節はグループとして活動するため、K、T、Iの医師達も治療にあたります。
ーー大学病院なので、研究と医学生に対する協力が求められました。
ーー術後術足が長くなり、左側の手術で長さが均等になるが、その間、中敷で調節するので、中敷を買っておいてください、
とのこと。

以上の全てが効率良く5時間で行われました。


6日には母の代からお世話になっている歯科医院へ行き、クリーニング後将来の虫歯の可能性について聞きました。

7日には美容院に行き、手術後しばらくシャワーが浴びられないので、髪を奇麗にしてもらいました。


8日(木)入院
朝10時までに受付を済ませるように言われていたにも関わらず、遅刻。

受付後、整形外科病棟(11階)で、看護婦さんから手術前後の過程と退院までの詳しい説明を受け、入院中付けている
腕輪がはめられました。

午後2時にはリハビリ室で担当の理学療法士高田先生にお会いし、検査があり、後にリハビリ計画書が作られました。

午後4時頃山内先生が外来診察中にいらして、右足の付け根から、検査のための採血。
全く痛みを感じさせない上手な針の刺し方の注射に、感心しました。

夕方はシャワー。

個室は空いてなくて、4人部屋に案内されましたが、皆股関節患者で年齢的に近い人達でした。
二日前に手術したばかりのIさんがニコニコされていて、交通事故で運ばれた病院で最初の股関節手術を受けた
Nさんがこの病院の技術の高さを指摘され、私の不安が吹き飛びました。

小中学校時代の友達の悦子さんが、手術後に備え、階下からお水を沢山買って来てくださったことにも感謝。
夜9時から飲食禁止となりました。

9日(金)  手術当日

手術着に着替え、看護婦さんに付き添われて、朝8時40分に6階の手術室へ。 下にはパジャマのズボンを履いていて、
冷房の為に上衣を羽織っていました。白い大きなタオル、T字帯、平オムツを看護婦さんが持って行き、脱いだ衣服を
部屋に持ち帰ってくださいました。浣腸はしませんでした。

手術室の玄関口には、手術を受ける人達が大勢いました。
本人確認、術足確認は2重3重。
頭にキャップをかぶり、手術室に通されてから手術台に乗って、尿管が付けられ、左手に点滴の注射。
1回目は失敗。2回目で成功。
それから下半身の麻酔(腰椎麻酔、硬膜外麻酔)
右手には血圧計、指先には酸素量モニター。
それに心電図が取り付けられ、眠るのが希望だったのでマスクを掛けられた途端、意識がなくなりました。
全て手際良く、あっという間の出来事でした。

「スーキーさん、終りましたよ。」の声で目が覚めた時は、まだ手術台の上。
医師、看護婦さん6人がシーツを持って、「1、2、3!」で移動ベッドに移され、病室に戻りました

病室には心配顔の妹が待っていて、山内先生がレントゲン写真を見せ、「このように奇麗に入っています。
手術時間1時間19分、出血375cc。」とおっしゃっいました。
股関節が、精巧なスイス時計のように、一分の隙なく、きちんとはまっているのが確認できました。
血栓予防のポンプも足の下にありました。

私は鎮痛剤でうとうとしていましたが、そのうち、右足の付け根が千切れて足が落っこちそうに感じ始めました。
『ブランコから落っこちちゃう〜』
いくら引っ張っても落ちそうになる右足。

夕方、全ての手術を終られたK、山内、Tの医師達がブルーの手術帽とマスクでいらした時、その事を言いました。
三人とも「ああ。」『あのことね』とわかっていらっしゃるようでしたが、無言でした。

吐き気も頭痛もなく血圧も正常で、お水を飲む事が許可され、『待ってました!』とばかりに、腫れが早く引く為にも、
と一日2,000CC目標に飲みました。
時々点滴のピッピッと言う音で目覚めるものの、足の付け根の事を除けば、夜も良く眠りました。


                         
       
10日(土)術後一日目
朝から食事が許され、ベッド上で取りました。
最初の食事はさほど美味しく感じられませんでしたが、全部食べました。(食いしん坊ですからね!)
食事が毎回きちんと取れる事が確認されてから、点滴がストップする筈でしたが、看護婦さんが「もう少ししましょうね」と、
次の日まで長引いたと記憶しています。
(『スーキーさんは〜』とおっしゃったので何か理由があった筈ですが、聞きませんでした。)

身体を拭き、浴衣に着替え、マッサージ機が外され、血栓防止のハイソックスが履かされ、
朝晩の血栓予防の注射が始まりました。

午後、T医師が「如何ですか?」といらしたので、足の付け根の違和感を訴えました。
「ああ、それは内転筋を切ったからですよ。それはどうしようもない。乗り越えなきゃ駄目だ。」
とさっさと行ってしまいました。

内転筋について

インフォームドコンセントを読み直すと〜
『股関節が非常に硬い方の場合は、皮下内転筋切腱術を追加することがあります。』

ええっ?
もっと注意すべきだった!
時差でぼうっとしていたのかなあ。
でも『切るかも知れませんよ』とか『痛いですよ』とか全く聞かなかったし。

内転筋を切る、ってどういう事?
看護婦さん達に聞きまくりました。

そこで得た断片的な知識を後の山内先生からの説明で補足すると、手術時、麻酔が効いている時に開排してみて、
最も突っ張っている線維を切離すのだそうです。突っ張っている線維は筋力として用をなさないし、内転筋は沢山あるし、
日常生活では余り使わない筋肉なので筋力には関係しない、からだそうです。

私は33歳の時から28年間、右股関節を外転しないで過ごしました。
ひどいぎっくり腰(椎間板ヘルニア)で半年間様々な治療法を試した結果、ある力学療法で、右股関節が外転し易いのが
原因とお聞きしたからです。
その療法でぎっくり腰の痛みが消えましたので、それ以来ずっと右の股関節を外転しないようにしていました。
後年股関節の変形が進み、可動域が狭まり、外転は望んでもできなくなって、筋は増々硬くなって行ったのでした。

人工股関節では内転すると脱臼の恐れがあるため、全ての動作を股関節を外転して行わなければならず、
外転を容易にする為に、このような措置が取られたのですよね。
後で考えて、これは如何に術前の状態が悪かったかを物語っている、と思いましたが、此の時は『昔のぎっくり腰の付けを
ここで払う事になるとは』と思いました。

11日(日)術後二日目
車椅子に移り、昼食後座っていましたが、すぐに疲れて来ました。

大学時代の友達で、ドイツ在住の裕子さんが来ました。
ドイツにないコンビニが珍しくて、階下(コンビニ)で長居してしまったそうでした。
「よくわかるわ。」ふたりで、にんまり。

看護士さんが、「アメリカのご主人から様態が知りたいと電話がありましたけれども、身元確認が出来ないので、
何も知らせませんでした。悪しからず。」と言いに来ました。
裕子さんが「私がスカイプしてあげる。でも、なんて言おう。貴女はこんなだし。」
と私の顔色にショックを受けているようでした。
(お化粧してないからね、とその時は思ったのですが)
「順調です、って。それに手術時間のこととか事実だけを言って。」と頼みました。

このあと、自己血貯血の血が体内に戻されました。

鎮痛剤で寝たせいか、時差のせいか、夜は眠れなくなりました。

翌日マイスリーが処方され、その翌晩レンドルミンを飲みましたが、、ぼうっとするものの、両方とも眠りには効き目なし。
(私の友人の内科医が『エッ?効くわよ』と)翌々晩、持参したメラトニン(眠気を催すホルモンを分泌するサプリメント)で
3時間位眠れました。
不眠は入院中、ずうっと続きました。どうしたのでしょうね?

12日(月)術後三日目
血液検査。レントゲン。
からだを拭き、パジャマに着替え、尿管が外され、車椅子に乗り朝9時に4階のリハビリ室に連れていかれました。

マッサージをしてから足を外転させられた時、内転筋を切られた深部がキリキリと凄まじく痛み、飛び上がってしまいました。
とても我慢できる痛さではなく、大騒ぎして止めてもらいました。

そのあと、平行棒につかまって足の前後と横の筋肉を伸ばし、蟹の横歩き、足を交差させながらの横歩き、
前後に大股歩きを練習。
そして、平行棒につかまらずに歩きました。

病棟内では歩行器使用で自由に歩き回る事が許されました。
右足の後ろ側の筋肉が歩く時に少し痛みました。今まで使っていなかった筋肉を使い始めたからだそうでした。
筋肉痛の為の漢方薬が、毎食後に出ていました。

13日(火)術後四日目
朝、リハビリ室に着いて台に乗るなり、何も始まっていないのに、昨日の痛みの記憶から、ひとりでに涙が出て来て、
ワアッと泣き出してしまいました。涙は止まらず、子供のように大泣きしました。

その日は、K医師が「リハビリ頑張ってくださいね」とおっしゃった時にも涙が出て来そうで、涙を抑える為に、
「その事ではプッシュしないでください」と声を張り上げてしまったくらいでした。
(K医師には翌日謝りました。)

母が生きていたら、「なあに、それくらいの事で」と言ったと思いますが、その時は、ソレホド追いつめられていたのです。
「どうして?」と自問しました。
自分が予期しなかった事が突然に起きたからでした。
このショックは、大事なものが盗まれた、とか、演奏会で予期せぬミスをしてしまった、とか、交通事故にあった、という時の
動揺に似ていると思いました。
急に大事件が起きたけれど、どうしてなのか、どうなるのか、良くわからない。そういう感じでした。

一人になりたい、落ち着いて自分を取り戻したい、と思いました。
日曜には個室が開くので移ってください、と言われたのがタイムリーで、心理的に楽になりました。

リハビリは自分のペースでやるしかない、と思ったので、山内先生にその事をお話しました。
「ゆっくりやってくださって結構です。」というお返事で、ほっとしました。

退院は2−3日遅れる事になりました。

14日(水)術後五日目以降
28年間固定し続けた右足は、優しくマッサージしながら少しずつ開いて行くのがいいと思われたので、自室のベッドで
時間をかけてやりました。膝の下(外側)に沢山のタオルをたたんで敷き、それで足を支え、タオルを少しずつ薄くして
行きました。こうすると内転筋が痛くなく、足を開いていく事ができました。

一番心配なさっていたのは、リハビリ室の高田先生だったと思います。
私は再び泣きたくなかったので、痛い事は頑固拒否。
先生は簡単には諦めませんでしたが、最後にはいつも優しく折れてくださいました。
『有り難う、高田先生!』

リハビリのプログラムは、予想外でした。
整形外科って体操の時間みたいだなあ、と思いました。

整形外科医は体育会系が多い、とも聞きました。
とんだ所に来てしまった、と思いましたよ。
(私は音楽教師。音楽の練習から子供達を奪うスポーツは、ちょっと目の仇でもありましたからネ。)

『緊急事態発生。なんとかしなくちゃ。』
痛み止めのロキソニンを、午前のリハビリ前と、午後の自分でやるストレッチ前に飲む事にしました。
(薬剤師さんがいらして各患者に薬の説明(インフォームドコンセント?)をなさり、山内先生の説明もあり、
痛み止めについて安心したからでもありました。)

歩行は、その後杖での病棟内の歩きが許され、階段の昇降も楽にできて、順調でした。
熱も下がって来ました。
シャンプーもして頂きました。

15日(木)術後6日目
「ねえ、手術前に分かっていれば、それなりに準備できたじゃない?どうして教えくださらなかったのかしら?」
高田先生に質問しました。
「手術前にはできません。骨の変形で可動域が制限されていますから、動きません。」

同室のIさんは、「逆恨みで、患者さん達から復讐される事ってないの?」と高田先生に言ったそうです。

とんだドラマでしたが、月曜以来、お陰さまで痛い思いはしませんでした。

16日(金)術後七日目
血液検査
不眠と内転筋の事で、私自身は『良く生きているなあ』と思っていました。
顔は陰影でひどい様相だった、と後で人が言います。
夜眠れないので昼眠りたかったのですが、そうすると夜又眠れなくなる、と看護士さんが眠らせてくださいませんでした。

山内先生が歩行チェックの時、股関節が外転出来るようになるのに三年掛かった人の事を話されました。
きっと私は長く掛かるから、それでも諦めないように、と思われての事だったのでしょう。

18日(日)術後九日目 
抜糸 
個室に移りました。
個室に移ってもまだ眠れないので、感動して神経を刺激する読書は止め、手芸(ニードルポイント)を始めました。

脱臼が心配で試さなかったうつ伏せが、思っていたより簡単にできました。

19日(月)休日 術後十日目
シャワーを浴びました。
最初だけ看護婦さん付き。
久し振りのシャワーの気持ちの良さは格別でした。

20日(火)術後十一日目
自主マッサージの効果が見え始めました。
高田先生も「良くなりそうですね」とおっしゃるようになりました。

退院が近づくにつれ、浴槽への入り方とか、私は必要ないのでしませんでしたが、正座のしかた、床への座り方等、
夫々の人の日常生活に必要なことが、リハビリに加わるようでした。

22日(木)十四日目
杖無しで病棟内を歩き始めました。
「股関節の患者さんで退院前に杖無しで歩けるなんて」と驚く看護婦さんもいらっしゃいました。

23日(金)
退院検査。血液検査、レントゲン。 
ヘモグロビンは11.5で12以下でしたが、女性は生理があるので、此の数字でも合格にしているとのことでした。

24日(土)

朝退院。妹と姪が荷物を持ってくれました。
いよいよ自由の身になる、と言う喜びは、本当に大きいものでした。



                   


                     

          体験記を読んでいただき有難うございます。
          ただいま続きを(3以降)準備中ですので、少々お待ちください。m(__)m

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