●入院日記


2002年2月21日(木) 術後8日目。

今日はIDrが半分だけ抜糸してくれました、残りは明日だそうです。足の腫れも大分引きました。シャワーに入れるのもそろそろです。何よりも楽しみにしている事!リハビリ後に看護婦さんに足を洗ってもらいました。こんな事でも気持ちが良いのです。夕方夫が来て、入院中の父が風邪をひいたようなので見てきてくれたとの報告。父は、1年半前から脳梗塞の後遺症で右半身不随で入院中です。昨年も風邪をこじらして肺炎になったけど頑張って快復してくれたので、大丈夫かなと思うけど心配です。夕食後にSDrが来て足の力を見て行きました。やはり横上げが大事だそうです。その後歩き方をチエックされて、少し良くなったと言われて嬉しくなる!!今晩から横上げを頑張って練習します・・・・。(ところが足は全然動きません)



2002年2月22日(金)

残り半分を抜糸しました。朝食後に横上げ運動に挑戦するが足が動かない!!午後から斉藤さんがお見舞いに来てくれておしゃべりしているとSDrが来て、横上げをさせられる。先生が手で足を上に上げて先生の手を私の足から離す。もちろん私の足はそのままストンと落ちてしまう。恐ろしくて悲鳴を上げそうになる。先生が「月曜日までにちゃんと横上げ出来るように宿題」と言ってお部屋を出て行った。看護婦の金子さんが、大判のバスタオルを腰に巻いてする筋トレの方法を教えてくれました。リハビリはまだ2種類しかしていません、夕食後は1階まで下りて行って歩行器で2回りしてお部屋に戻って又歩いて・・・・今日は一寸歩きすぎかな?今まで寝る時に大きな枕を股の間に挟んで寝ていたけれど、今日からはそれを外してよいと言われたけど、怖い気がする。


2002年2月23日(土)

朝の回診でシャワーがOK出たので午後からシャワー!!(嬉しい〜)
実を言うと昨夜はずーっと左足が痛くて眠れなかった。M院長先生が回ってこられた時に其の事をお話ししたら、歩行器に腕を乗せて歩くと楽だよと教えてくれました。手術した方の足は痛みは無いのだけど反対の足が痛いので一寸辛いです。でも歩きすぎなんだね・・・。午後からお見舞いのお友達が数人いらしてくれたのですが、なんだか疲れて頭も痛いです。今日は歩くのはおサボリして、筋トレだけやりました。夜になっても頭痛がするので座薬を入れて寝ました。

S友達の手作り。

遠い石狩からも来てくれました。

2002年2月24日(日)

今朝は元気。左足はまだ痛いけどスロースローで歩いています。朝食後筋トレ、横上げ出来ない。昼食前に又横上げの練習・・・・。少しだけど5回ほど上がった!!午後からは51歳の自骨の手術をした、Hさんとしばらくおしゃべり。屋根の方は自然に出来てきているので、大腿骨だけの手術をしたそうです。自骨の手術にも色々有る物だと思った。お隣のお部屋の根室から来ている鈴木さんが退院していきました。とっても綺麗な歩き方で退院していきました。人工関節の手術もあまり悪くならないうちに手術した方が術後の経過が良いと言う典型的な例かもしれない。彼女は、反対の足が悪くなったら又すぐ院長先生に手術してもらうの、と言って退院していきました。おめでとう御座います。反対のお隣の患者さんは、炎症で入院していました。今までに9年間で7回入院しているそうです。炎症の傷口を見せてもらったけど、赤く腫れていて怖い・・・・。こんなのは始めてみました。でも本人は元気そうでした。今日は歩きは少し、それもダラダラと楽して歩いていました。でも筋トレは頑張って横上げが5回まで出来るようになりました!!金子さんに教えていただいたバスタオルのリハビリが聴いたのかもしれない。


2002年2月25日(月)

今日で「治験」の注射も終わり。午前中に「足の静脈造影検査」。注射が痛かったが無事検査も終わって、一箇所気になるところがあるので専門医にレントゲンを見てもらうと言っていた。「足の静脈造影検査」って点滴ぶら下げて車椅子で検査室まで行くんだよ、なんだか重症になったみたい。午後からのぞみ会の方達がお見舞いに来てくれる。夕方主人が来てとても悲しい知らせを聞きました。入院中の父が昨夜亡くなったと言うのです。私が入院する前にお見舞いに行った時には半身不随だったのですが食欲もあってまだ元気だったのに・・・。一週間ほど前から体調を崩していたのだけど、私が手術後という事で家族で話し合って私には連絡しなかったそうなのです。家族の優しい心遣いなんですね。でも・・・・・。車椅子に乗ってでも父の所に駆けつけたかったです。その日の夜はご想像にお任せします。これ以上書くと思い出してしまうので。


2002年2月26日(火)

午前中にリハビリ室に下りて行って階段の上り下りと歩き方を見てもらう。早めにシャワーにも入って今日から父のお葬式の外泊の為、座薬や炎症止めの薬をもらって夫の迎えを待つ。前日の血液検査の結果でCRPは9で、まだ炎症数値が以上に高いため抗生剤の薬を続ける事になる。普通は術後2週間くらいで2の数値だそうです。いったん家に帰って父の葬儀会場に向かう。ほとんど車椅子。夜は葬儀場にベッドの部屋があったので困りませんでした。


2002年2月27日(火)

朝の6時頃、胃に激痛が走る。今までにない痛みだったので主人に救急車を呼んでもらおうと思ったが少し落ち着いてきたので様子を見る。
8時頃また痛みが出てきて止まりそうも無かったので、家族が話し合って私は病院に戻す事になった。悲しかったけど周りの人達に迷惑はかけれないので仕方がなかったです。主人に病院に送ってもらって11時頃着く。主人はそのまま焼き場に走る。薬を飲んで、ブスコパンの注射をしても痛みが治らなくて、又注射。その後になんだか解らないけど強い痛み止めと朝まで点滴。今日の夜勤の看護婦さんは佐藤さんと言う方です。昨日から今日までのことを色々お話していたら、佐藤さんもお父さんを急に亡くしたそうです。思い出して涙が出ることも有るけれどそう言うときは思いっきり泣くと良いですよとアドバイスしてくれました。夜中に痛み止めの注射とか、点滴で色々御世話になりました。自分の心の辛い時に看護婦さんの優しい言葉は本当にありがたかったです。今日は筋トレ・歩行練習は無し。


2002年2月28日(水)術後15日目

今朝はほんの少しの痛み(足ではなくて胃の方が)で目が覚める。尿と採血の検査。朝食後は大丈夫だったけど昼食後に(うどん)胃と背中が痛くなる。午後からSDrがあわてていらっしゃって、私の肝臓の数値が異常なので、すぐに点滴をして内科の先生に診てもらうと言う。内科の先生が来てすぐ採血。数値は詳しくは解らないが、3000代と6000代の数値が出たらしい。自分では自覚症状も無いし、何故そんなに安静にしなければならないのかわからない状態だった。今日はエコー検査。内科の先生からは、トイレ以外は絶対安静と言われて、もちろん筋トレも禁止。点滴3本。太い血管注射が3本くらいだったかな?夫に連絡、驚いていた。肝臓という事で、詳しいお友達がいたので電話で聞いてみると、そんな数値が出ているんだったら、絶対安静にしていないと駄目だよといわれて、ようやく自分が大変な事になっていると気づく。もちろん今日も筋トレ・歩行練習は無し。




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