11月23日
ただいま〜!!今日は我が家にPoohさんが戻って来ました。 (*^v^*)ニコッ♪ それは9月30日の夜遅くに携帯メールで次女から 「足首が痛くて歩けない!!地下鉄駅までむかえに来て・・・」 帰ってきた次女は本当に歩けない状態・・・ 次の日の朝には治っていて仕事にも行きました。 でも次の日は膝の関節が痛い・・・と?? 数日後には全身に湿疹。その後も足首や膝の関節のほかに 手首も痛くなったり治ったりの繰り返し・・・・ 40度以上の高熱も続きました。 ある日は布団の中から起き上がる事も出来ませんでした。 これはおかしいと思い私の頭をよぎったのが 「関節リューマチ」 病院は何処に行けば良いの? 自分の情報ではなかなか分かりません、とにかく 関節と言うことで整形外科に。 血液検査の結果リューマチ反応はマイナス。 先生から大学病院を紹介していただき、1週間に一度の 通院で血液検査をしながら様子を見ていました。 10月8日には40度以上の熱が続き近くの内科に行ったり 全身の湿疹がどうしても治らないので近所のかかりつけの 皮膚科にも数回行きました。その皮膚科で「膠原病の病名」 大学病院でも26日にようやく病名をつけていただき27日に入院。 その時の娘の一言「一番大事なのは健康だね・・・」 1日40ミリのプレドニンの処方治療が開始されました。 その時は「ブレドニン」の薬の怖さも副作用の怖さも分かりませんでした。 原因不明の膠原病と言う想像もしていない病気になった次女は 自分の体の変化に「死んでしまうのでは・・・」と思った日もあったと。 入院初日には「これから先どうなるの?」と言う不安でいっぱいでした。 そんな時私は代われるものなら代わってあげたい 自分ならどんな事でも耐えれるとの思いと 母親がしっかりしなくてはと思い膠原病のHP等を色々調べて自分も勉強して 『娘の病気は必ず治る!!』と心に決めて毎日病院通いがはじまりました。 一ヶ月の入院期間でプレドニンの薬の量が30ミリまで下がりました、 後は退院して自宅で療養。薬を減らして行って何時か0になる事を 祈っています。 娘が退院してきて 「自分よりもっともっと重症の人たちが居て自分はまだ良いほう。 今回の入院は自分にとっては 今までに経験した事の無い世界を 見ることが出来て自分には良かったと思う。 お金では買う事が出来ない経験をした」 と言っていました。 当然仕事も辞めました。人生は何時どんな事が起きるか分かりません。 昨日までは長女と私の二人だけの静かな家の中でしたが やっぱりうるさくても次女が帰ってきて嬉しいです。 皆さんも何が起きるか分からない人生悔いの無いように 心がけましょうね。 この二ヶ月間は本当に忙しかったです。色々な用事で出かける事も 多かったですが、前もって決まっていた事、約束はきちんと守らなくては でも常に娘の事が頭から離れませんでした。 親ばかと言われるかも知れませんが子供を 守ってあげるのは親の役目と思っています。 |
11月6日
セブ島のゴルフ場(2年前撮影) |
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今日は朝6時千歳飛行場に向けて出発・・・・・ (眠い・眠い・・・・) 私では無いです、夫が3週間のセブ島一人旅に出かけました。 (夫のミニロングステイは初めて) 私は長女とお留守番。 Poohさんは・・・・・ |
11月2日〜3日