KAZUKOさんの体験記

左足人工関節置換術 (兵庫県)



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☆ 私の脚のこと〜 ☆

 私は、現代52歳 自営業手伝い 家族は、夫 子供3人(男ばかり) 
 次男が結婚していて孫が1人です。

 脚の痛みを、最初に感じたのは、もう40年も前 中学校1年生のときです。
 左右どちらが痛んだのか覚えていないのだけれど股関節が痛くなったのを
 覚えています クラブ活動でバスケットをしていて走ると股関節が
 痛くなることがたびたびあったのですがしばらくは、我慢して運動をしていました。
 でも痛みが治まらなかったので母に言って病院に連れて行ってもらいました 
 病院では、中学校になって学校も遠くなり運動も小学校に比べて激しくなったので
 そのためでしょう 単なる筋肉痛みたいなもんでしょうといってシップをもらって
 帰ってきたのを覚えています。

 その後も、痛みは、あったのですが筋肉痛と思っていたのでスポーツ一般
 やりこなしていました もともとスポーツは、好きな方なので
 やめたくなかったし・・・・・このころから、歩き方がおかしいと
 いわれたこともあります。

 痛みを抱えながら18歳になったとき、医療関係の仕事についたときに
 歩き方を指摘され一度、病院で診察するように進められ、神戸の大学病院に
 受診したことがありました そこで、先生から、先天性股関節亜脱臼だったことを
 言われる。その病名を言われたことは、今でもはっきり覚えているのですが
 治療法となると、どういわれたか頼りないのですが覚えていないのです そして、
 それから 現在に至るまで脚のことで病院に受診することはなかったのです。

☆ 病院を決めるまで〜 ☆

  私の脚は、悪くなっていると思いながらも自営業のため、私が手伝わないと
  やっていけないと思っていたので病院に行くと、店を手伝えなくなると思うと
  怖くて病院には、行けませんでした。

  去年の11月に、今までにないきつい痛みが襲ってきました。いつもだと、
  痛みがきても3〜4日脚を休めるとまた、歩くことができたのですが、
  今度ばっかりは、日にちがたっても、立つことができなくなりトイレに行くのも
  這っていかないと行けなくなってしまいました。とうとう、病院に行かないと
  いけないなあと思わずにはおれませんでした。

  いざ、病院といっても、何処に行けばよいのかわかりません。
  どうしようと思っていました そんな時 店に来られるお客さんの中に、
  奥さんが、股関節が悪くて通院している病院を教えていただき、
  その病院にいくことにしました。 その病院は、ベッド数
120床ぐらいで
  リウマチ 膠原病 関節を専門に治療されている病院でした。 
  久しぶりに股関節のレントゲンをとり先生の、診断を、待っている間も、
  不安でいっぱいでした。

   そして、先生から、臼蓋形成不全→両変形性股関節症といわれる ええ〜、
  それってどんな病気 それで、どうしたらいいのお〜 と思っているときに、
  左足は、末期に近いので自骨での手術不可能 するとすれば、人工骨置換術です 
  それも、人工の寿命が15年ぐらいなので、今手術すると、後でもう1度
  手術しないと行けなくなるので、今は、痛み止めを飲んで60代になったら
  手術しましょうと言われる。そのときは、すぐに、手術しなくてもいいんだと
  いわれたことが、ほっとしたのと、また、今までどおりの生活ができると
  思うとうれしくも思ったりしました。

   帰って、家族に、結果報告すると家族も、私と同じで、すぐに手術しなくても
  いいこと また今までどおりの生活が出来ることに安堵の様子でした。
  だから、これで良かったのだとその時は、そう信じていました。

   何日かは、痛み止めを飲みながら生活しました。そのうちに本当に
  これでいいのかなあ〜という不安が出てきました。
  もう1度、病院に行こうと思いました 受診すると、この前の先生と違う先生で、
  私の不安を相談してみました すると、この前の先生の治療法と
  まったく違う意見を言われました 進行期だけれどまだ末期に至っていない
  反対の右足を手術して左足を助けてあげましょうといわれた 手術は、
  すぐにしないと考えていただけに突然だったので答えが出ず 
  帰って相談してきます と言って帰りました。

   もう私だけでは、どうしていいかわからなくなっていました また、家族も、
  同様です 最後は、私が、決めた治療法に応援もするし納得もしてくれる
  といってくれました。ありがとう!! そのためにも、この脚、治さないと 
  と思いました。 どうしたらいいのだろう と思う毎日。気はあせるし・・・・  
  ふと、パソコンと思いました でも、今までパソコンを触れたことが
  あまりなく操作もわからないまま 股関節 の所を閲覧していて、
  『アパカバール』の体験記である方の欄を読んでいて気になることがあり
  早速メールでこの方のことをお聞きすると連絡を取ってくださって、
  聞きたかったことを尋ねるとやはり私が気になっていた病院と先生に
  手術も終わり退院されてました。 最初に股関節の閲覧でなぜかその先生が
  印象に残っていて1度受診しようかなあと思っていたこともあり 
  こうして気になっていた先生のことが、実際手術までされた方にお話が
  聞かれたことは、心強いし安心も出来ます。そして、迷うことなくその先生に
  診察してもらってきました 結果、やはり、人工骨置換術です。なぜか、
  考えることなく この先生に手術をお願いしようと決めました。

   手術は、5月19日に決まりました。




☆ 手術が決まって入院するまで〜
 ☆

  病院と手術日が決まるまでは、あっという間でした。
  これでよかったのかなあと思う日もあります。もう後戻りはできないよ 
 いやいや、今だったら まだ後戻りできるよと思ったり 一人だと
  恐怖と不安と痛みとで気持ちがパニックになりそうだけど今の私には、
  助けてくれる仲間がいるのです同じ病気の股関節症の
HPで知り合った方々が
  メールでいろいろと教えてくださったり励ましてくださったりすることが
  どんなに救いになっているか。家族は、大きな支えになってくれます 
  近くにいて助けてくれます。でも、痛みとか気持ちのぐらつきは、
  同じ病気でないと分からない事がいっぱいあります。

   突然 変形性股関節症といわれたものですから、病名もそうですが、
  他のことでもまったくといっていいほどこの病気に対して知識がありません。

   障害者手帳がそのひとつです。手術は、決まったのですが、その時私は、
  まだ、障害手帳を持っていませんでした。でも、この手帳がないと、
  更正医療が使えないので、すぐに手続きしました。

   障害者手帳を持つことを、教えてくれたのも、股関節のHPです。

   最初、障害者手帳を持つことに、何のためらいもなく すっと 
  持てたわけではありません。もそうです。どうして、とか 杖を持つのにも 
  恥ずかしい という気持ちが常にあり 脚のためには、杖を突いたほうが
  いいことは、わかっていても近所の人 また知り合いに見られるのがいやで
  杖を持つまでは、時間がかかりました。その気持ちが、変わっていったのは、
  同じ病気の方とメールの交換したり 股関節関係のページを見てからです。 

☆ 自己血入院 ☆

   4月30日  PM2時 入院

              自己血 400CC 採取 点滴 血圧 体温 測定

    4人部屋に、2人だけ 私ともう一人の方も私と同じ自己血のための入院

   5月1日   AM6時 血液検査 鼻の検査 尿 便の検査

              午後 レントゲン 心電図

   5月2日   体温測定

   5月3日   体温測定

   5月4日   自己血 400CC 採取 点滴  
         
AM11時 退院



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